2010年8月14日土曜日

「生態学的フィールドワーク」都市の中の野生を探す

「庭園」や「街路樹」は人間によってデザインされた空間である。
時間の経過とともに、導入された植物はやがて成長してゆく。
せっかく植栽したのに枯死してしまう植物もある。
あるいは、周囲から風や鳥によって種子が運ばれて芽生え、定着してしまう植物もでてくる。

「生命」を持った動的な空間であり、その姿は大きく変化してゆく。

(本日のレジュメより)

都会での生活において、自然は完全に人間に管理されているかのように感じる。
アスファルトで埋め尽くされた道、規則正しく植わった並木、四角く刈り込んだ街路樹。
けれどよく見ると、アスファルトの裂け目から小さな植物が芽生え、見知らぬ植物が街路樹の背丈を越している。
表面的には人間が支配しているかのようでも、植物は足下からどんどんと生えてきて、気を抜けばあっという間に都会は森に戻るかもしれない。
それを促進しているのは風や鳥だ。私たちの頭のうえをひょうひょうと流れながら、植物の種を落としていっている。
足下にも頭上にも自然の層が広がっており、人間はその層に挟まれているだけに過ぎないんじゃないかと思えてくる。

今日のフィールドワークは、近畿大学農学部環境管理学科講師・田端敬三さんのガイドのもと、都市の中で人間が植えたのではない植物を探すというもの。

美術館周辺、図書館、公園の、いつも目にする街路樹をあらためてじっくり見る。
なんとなく見過ごしていたそれらに、人為のものと自然のものとが混在していることを知る。

美術館から平安神宮まで、普段なら2〜3分の道を30分以上かけて歩いた。

平安神宮の庭はしっかりと手入れがなされている。
それでも新しい種はどんどんと落とされていく。
雑草だと思われて何気なく抜かれていた芽が、実は松のような立派な木だったり、育てば高価な値が付けられる木だったりする。
また、たとえば落ち葉を拾うようなことは、人間の美的感覚によってなされているが、植物にとっては良くないことだというようなことを聞く。そこはカビやバクテリアの活動の温床となる、生態系の一部だからだ。

平安神宮の庭の奥も見せてもらう。ほとんど手を入れていないエリア。
平安神宮は創建されて110年あまりだけれど、すっかり森のようになっていた。

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